まずは『普通の』子ども・若者の声を聞くことから始めようよ

『現代の子ども・若者たちが求めているものは何か』
そんな内容の話をなぜ大人や支援者だけでしようとするのか。なぜメディアやイベント等に露出する著名な支援者や当事者にだけ聞こうとするのか。なぜ自分たちの身近な街の中にいる子ども・若者本人に直接聞きにいかないのか。本当に関心があるのならなぜ手軽な方法にばかり頼るのか。

最近、『Clubhouseを通じて今まで関心があったが接することができなかった子ども・若者の情報に接することができた』みたいなやりとりをよく見聞きする。でもClubhouseでやりとりされるような情報って少し調べたり足を運べば得られるような情報が大半。

結局、今までそうした情報に接していなかったのはそこまで本気になって情報を得ようとまではしていなかった、労力を割くほどの関心はなかっただけではないのか。そんな穿った見方をしてしまう。

『児童養護施設』の子どもとか『深刻な虐待を受けた』若者のような特殊なカテゴライズ、ラベリングされた子ども・若者の声にしか関心を持っていないのではないか。『コロナ禍の影響で苦しんでいる』子ども・若者のことは心配されているけれど『普通の』子ども・若者のことにはそこまで関心を向けていないのではないか。そういうところから自ら取りこぼして、見えなくしているのではないか。

『○○』の子ども・若者とラベリングされがちだけれど、みんなひとりの人であって、そしてひとりひとり違った形の辛さや楽しさ、困難や希望を持っている。それはひとりひとりに聞いていないとわからない。誰かの話を聞いてわかったつもりになってはいけない。

当該分野に関心があると自称する記者さん、議員さん、社会活動家さんが実際にはネット検索レベルの情報しか持ち合わせていなかったりすると非常に残念な気持ちになる。もちろんそれくらいの関心しかなかった人が関心を深めるきっかけになるのは良いことだとは思うけれど。

Clubhouseで関心を持たれた方はネットの海の中でだけで完結しないで次は自分の住む地域の『普通の』子ども・若者の声に耳を傾けてほしい。その地域で生活するよりリアルな声、ネットで接した情報とはまた違った声等の多様な声が聞けると思う。

※なお、言うまでもなく声を聞くときには本人の同意を得たうえで敬意と節度を持って。子ども・若者は大人の知的好奇心や理想実現のための材料ではなく同じ尊厳ある存在なので。そしてそこで聞いた声を勝手に都合良く解釈・評価・編集しないで。