児童相談所等の職場環境で長時間労働等が常態化し過酷な環境になっている問題について

元児童相談所職員が職場環境改善を求めて千葉県を提訴した件の報道に関しての感想。

「長時間労働でうつ、退職」元児相職員が千葉県を提訴 「定員3倍の子ども抱え昼休憩取れず」 | 千葉日報オンライン

なぜ福祉職がこどもの声を聴くことができなくなっているのか。

その要因のひとつは職員も声を聴くことすら困難な状況に立たされているから。
ソーシャルワークをしたくて現場に来た人がソーシャルワークがまるでできない環境の中で消耗していく。

苦しい、疲れたなんて言ってはいけない。精神的に強くない人は福祉の現場に立つべきではない。そんなことが当たり前に言われ、自己犠牲や抱え込みが過度に神格化され美談のように語られる風潮にはずっと違和感があった。

とても想いのある人が心身のバランスを崩して福祉の仕事を続けていくことを断念していく様を何度も見てきた。
尊敬していた人がそれでもギリギリのバランスの中で仕事を続けていく中で「虐待」や「犯罪」と呼ばれる行為に至ってしまうことも何度も見てきた。

福祉職は機械の部品じゃない人間です。ただ配置すればできるような簡単な仕事ではない。
研修や資格を整備したとしても人として大事にされ育っていく環境じゃないと続かない。
スーパーマンや魔法の杖なんて存在しない。専門職にだって限界がある。

新しい仕組みや資格、技法を取り入れるのも大事だけれどまず大人もこどもも人として大事にされるという大前提をきちんと見直すべきではないのか。

こうした制度、運用を放置していた国や自治体の責任が大きいのは言うまでもないです。
役割や機能ばかり調子よくどんどん加わるけれどそれに見合ったヒト・モノ・カネは一向についてまわらない。
表面的な虐待対応や医療や司法の専門職予算ばかり充実させてもこども達の最も近い立場で最前線で関わる福祉職

ただ、国や自治体の不作為責任だけを言うのは違うとも思っています。
そうした政策を推進し、政策の不備に気づかず放置し続けたのは私達有権者の側にも責任があります。
また、児童期の虐待対応についてなんでもかんでも児童相談所にばかり高度な役割を期待して、地域福祉を育んでこれなかった地域社会の側の責任もあります。

飯島さんの投げかけたソーシャルアクション。それは裁判の場だけにとどまるものでもない。今日から自分の現場や関わりのある現場に対してできることはある。また、児童相談所の一時保護所という小さな現場のことだけではなく人の生活を支える専門職の在り方やその限界についてもっと議論が深まっていってほしいと思います。

僕も現場で奮闘する福祉職の環境が少しでも良くなるように僕にできるソーシャルアクションを続けていきます。