それでも公的機関、公助が果たす役割とは

生活保護ケースワーク外部委託の問題について稲葉剛さんの論考です。

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『どれだけお役所的で、動きが悪くてイライラしたとしても、「自分たちのほうがよっぽどうまくやれる」と思っても、「公的機関に仕事をさせる」というところは守らないといけないと思います。批判してもよいけど代わりにやってはいけない。だってそれも含めての公的責任でしょう。』

 

在野メインで働いていた頃は僕も正直、同じようなことを思っていた。でも、地域で息の長い関わりをするようになり、そして自分自身児童相談所という福祉行政機関の中でも仕事をするようになり、やっぱり公的機関が担っていくことの意義や必要性を痛感するようになった。
できていないことばかりがクローズアップされがちだけれど、実際には公的機関がセーフティネットとして受け止めている、救いになっている人達もたくさんいる。民間では到底出来ない公的機関だからこそ関わり支援できたような人達もいる。
公的機関と民間どちらが優れているのかみたいな議論は正直ナンセンスで、どちらにも得手不得手があるのだから必要に応じて必要な関わりをしていけばいい。公的機関があわない人もいれば、民間があわない人もいる。ただ、そのうえでどちらが中心になるかと行ったらやはり公的機関。より多くの人達のセーフティネットになりえるのはやはり公的機関だしそのためにも公的責任とそれの裏付けとなる組織体制等は堅持していかないと。
一時保護委託や子どもシェルターがどんなに増えても一時保護所自体のの必要性は変わらない。役割過多になっている児童相談所が民間外部機関へのアウトソーシングや連携していくことは必要だけれどソーシャルワークの中枢はやはり公的機関としての児童相談所が担わなければいけない。

もし公的機関として機能不全に陥っているのであれば、見切りをつけるのではなく機能不全に要因を解消・改善していかないと。そのためにできること、やらねばいけないことはまだまだある。小手先の外部委託とか新制度とかではない対策を。なので僕は引き続き公的機関の現場のボトムアップを軸にしてできるソーシャルアクションを考えていきたい。