子どもとの関わりの中で待つことの難しさ

子どもとの関わりの中でときには失敗や危険が目に見えていてもあえて何もせず、子どものやりたいようにやらせてじっと待ったほうが良い場面がしばしばある。
一方で何もせず待つのが良いとわかっていても、子どもに近い立場にいる人ほど、責任ある立場にいる人ほどそれが難しくなる。言い換えれば何もしないでいられるのはある程度子どもと距離がある立場、責任のない立場にいるからこそ。
親、施設職員、学校の先生、児相CW等子どもに日々近い立場にいる人、責任ある立場にいる人ほど何かしなければという想いに駆られる。そして実際に子どもに何かあれば、責任が問われることになるし、想いがある人ほど何かしてあげられなかったことを悔やみ、傷つく。
子どもに近い立場、責任ある立場にいるからこその辛さ、大変さから葛藤を抱え、悩んだ末に結果的に子どもに過度に制限的になったりして不適切な立ち振舞いをしてしまうことがある。そうした中で、子どもと距離ある立場、責任のない立場から子どもと関わることで、結果、うまく子どもの声を聞いたり、子どもの意向にかなった支援ができると自分の方が子どもとの関わりが上手い、他の人は子どもとの関わりが下手だと勘違いしそうになる。
でも、それは距離ある立場、責任のない立場という優位な立場で下駄を履かせてもらっているからできるということを忘れないようにしないと。背負っているものが違うのだからどちらが優れているか否かと比べられるようなものではそもそもない。
かく言う自分も子ども担当弁護士等の立場で直接支援を担う方々と接しながら立ち回っていると時折そうした思考にとらわれそうになることがある。でも、そうした方々が日頃大変な役回りを引受けてくれているからこそ、美味しい立ち回りをさせてもらえているということを忘れないようにしたい。