たとえ理解し難いことであっても

『マジョリティからみて不快に感じるおそれがある』という理由が当然のように権利を制約する根拠として捉えられているように感じられて怖いなぁと思う。
悲しいことに最近では弁護士でもこういうことを平気で言う人をみかける。少数者の人権保障の観点はどこにいってしまったのか。
マジョリティの感覚からすればあってもなくてもよいどうでもよいもの、守る価値のないものでも、その人からすればとてもセンシティブな事柄であったりする。それなのに安易に踏みにじられ、制限しようとしたり、カミングアウトを強いられたり。
マジョリティの感覚からすれば良かれと思ってやっているのかもしれないけれど、それがどれだけマイノリティを傷つけているか。マジョリティの感覚を社会的合意であるかのように扱う発想のやばさについて弁護士であればもう少し自覚的になってほしい。
たとえ理解し難いことであっても守られなければいけないのが人権なのだから。