弁護士は権利擁護の専門家といわれることへのモヤモヤ

弁護士は権利擁護の専門家みたいに言われるけれどその根拠はどこにあるのだろうかと思うことがある。

個々の弁護士の中には素晴らしい実践をされている先生も確かにいる。でもそれはその先生の属人的なポテンシャルに支えられたものであり資格に標準的に担保されているものではない。

司法修習等の養成課程で教えられるのは手続知識や要件事実論等の技術論が中心で権利擁護とは何かという問を深めるような機会が標準的に担保されているわけではない。

弁護士法や弁護士職務基本規定も他職種の倫理綱領等と比べれば非常に簡素なものだし、ソーシャルワーカーのように権利擁護とは何か価値や哲学をひたすら問うような研修が頻繁に行われているわけでもない。

結局のところ属人的な感覚に依拠している部分が大きいのではないか。でもそれは一歩間違えれば独善的になる危険を含んだもの。

実際、弁護士は依頼者の利益は最大限に守ろうとする反面、その他の利益に対しては平気で人権を蹂躙するような発想になりがちで実際にそうした行動をとられる方もいる。

酷いと本人から話を聞くという基本すら怠りパターナリズムな振る舞いをされる方もいる。

そんな弁護士が権利擁護の専門家であると臆面なく謳っている姿を見てみるとなんともいえない複雑な気持ちになる。実際、弁護士に対してそうした違和感を抱いている他職種や当事者も少なくない。

この溝は非常に大きな問題を含んでいるように思う。権利擁護のための取組がかえって権利侵害を助長するようなことにならないか。

あと権利擁護と言う人たちの一部は、地域や社会のアセスメントが不十分だったり、偏っていたり、対話を悪として拒否する「伝統」があるのもすごく気になる。本当はもっと「対話」の力を身につけていく必要があるのではないか。

弁護士はもう少しその権威性、影響力の大きさを自覚したほうが良いし、他職種が弁護士に盲目的な信頼を寄せるのは危険。弁護士はもっと他から批判を受け権利擁護について問いを待つようにしていっても良いのではないか。そんなことを思う。