大学院授業 社会的養護実践論 最終回

大学院の授業。社会的養護実践論最終回。ケアワーカーが原点でもある僕としてもケアの中心を担う社会的養護の実情は毎回とても興味深いものでした。
これまでにも長い歴史の中で色々な人達の想いやときには悲しい出来事等が積み重ねられて制度が形作られていて、そのどれも帯に短し襷に長しというか完璧ではなくて試行錯誤の繰り返し。それはおそらくこれからもそうだろう。
そもそも子どもや家族を取り巻く実情自体が年々様変わりしていくのだから、そうした子どもを取り巻く社会的養護だって常に揺れ動くに決まっている。簡単にシステマティックにできるものではないし、これが正解、最終形なんてものもない。
司法の立場で仕事をしていた頃は少年事件等で社会的養護を経験したが紆余曲折経て司法のお世話になった子どもと何度も出会った。そのときには正直、子どもを支えられなかった社会的養護への憤りを感じることもあった。弁護士ならもっとうまくできるのではと想い上がっていた時期もあったかもしれない。
でもそれから児童福祉や社会的養護の現場にがっつり関わるようになり、更にアフターケアの立場で社会的養護や少年司法を経験した若者達と関わってみて児童福祉も少年司法も結局悩みや構造は一緒だなと思うようになった。
そこから視点が変わった。そもそも支援がうまくいったかいかなかったかはいつわかるのか。失敗だ成功だと総括するには早すぎないか。
その子どもの生まれてから死ぬまでの長い人生をみたときに、そこにどう関わり、何ができるか、特に大事な子ども期を支えるために何ができるか、何が足りていないか、そして、社会的養護をより良くしていくために何ができるか引き続き考えていきたい。