生活保護と自立について思うこと

話題の生活保護に関する著名人の発言について発言をなされたご本人も謝罪を述べられているそうなので重ねて特に言及はしません。そのうえでいくつか思ったことを。
生活保護の意義を擁護するときに『生活保護を受けていても働いている人もいる』『それまで税金収めていた人だっている』みたいな擁護の仕方は、結局、生活保護で本来救済されるべき人とそうでない人がいるかのような分断を招いてしまう危険がある。
子どもや若者の支援の中では良い高校・大学を出て、良い会社に就職等して『社会で役立つ人』になることが求められがち。でもこれは一歩間違えると能力主義等の発想に引きずられかねないし、生活保護の否定にもつながりうるもの。
子ども・若者と関わる支援者間でも生活保護についてのイメージや考えは様々で、中には生活保護に否定的というか自立助長や能力主義的、生産性至上主義な発想が所与の前提とされていると思われることもしばしば。
これには子どもの健全育成の使命と原則18歳以降は児童福祉法上の支援も及ばなくなるという支援構造の影響があると思っている。関われる期間が限られているからこそ、自分が関わっている間になんとかしたいという想いが強いからこそ支援者も自立させようと躍起になる。ただ、これは本人の意向やペースに反した詰め込み的な支援や自立助長につながりやすい。
一方でいつまでも保護的な発想で抱え込み続けようとして、結果的に本人の社会的自立のタイミングをただ遅らせているだけみたいなことも起こったりもするので、独り立ちさせないというのも違うと思う。実際、児童福祉法の支援が途切れたことでようやく自身の中で自立に向けた気持ちの踏ん切りが付いたという若者の声に接することもある。
結局のところ年齢で画一的に自立の目標を定めたり支援を区切ったりするなという話ではあるのだけれど、いずれにしても独り立ちできる大人になれ、生活保護に頼らないほうがよいという社会の無言のプレッシャーは無視できないくらい根強いと思う。そして子ども・若者達はそうした空気を小さい頃から感じ取りながら育っている。
僕が関わる子ども・若者達は様々な理由によりそうしたプレッシャーに苦しんでいる。なんとか18歳までに独り立ちできるようにならなければという焦りが先行して休むこともできなかったり、あるいは自分にはもう無理だという思いから自暴自棄になり刹那的な行動を繰り返したりする人も。
支援する大人の側が考える『自立』とか『生活保護』に関するが彼ら彼女らを無意識に焦らせてしまったり、自暴自棄にさせてしまったりしていないか。失敗しても何度だってやり直せる、何歳になってもチャレンジできるし、幸せになる権利が保障されている、大人の側がそう本気で思わせられる社会にしていかないと、彼ら彼女らの生きづらさはなくならないし、彼ら彼女らに関わる支援者の苦労も絶えないよ。
そんなことを思いながら今日も自立助長と自立支援の狭間で葛藤している。