子ども家庭福祉に関する様々な制度啓発のための発信や報道へのモヤモヤ

児童虐待防止月間ということもあり、子ども家庭福祉に関する様々な制度啓発のための発信や報道がされている。それは大事なことだと思いつつも、特定の制度推進のために他の制度への過剰な批判、ネガティブキャンペーンを行ったり、あるいは当該制度について過剰な期待を抱かせるような発信がなされている。それは啓発として適切なのだろうか。
ネガティブキャンペーンを打たれた制度をこれから利用しようとする子どもは、あるいは既に利用している子どもはどのように思うのだろうか。例えば一時保護所。一時保護所や児童養護施設への過剰なネガティブキャンペーンにより、子どもが一時保護所や児童養護施設を刑務所のような酷い場所であるかのように思い込み公的支援を避けようとして閉じこもってしまったり、より危険な選択をしてしまったらどうするのか。もともとある制度だってきちんと機能していて多くの子どもや家族を救ってきている。それを壊してしまった場合にそこで受け止めていたニーズがどうなるのかそこまで考えられているのだろうか。
特別養子縁組推進、子どもシェルター、子どもアドボカシーそうした新しい制度への期待もわかる。でもそれらだってすべてのい子どもにとって最善のものとは限らない。というか現実に万能な魔法の杖みたいな制度なんてない。そんなものがあると思っている人がいたらそれは自惚れているか、福祉の支援をなめているだけじゃないかと思う。どの制度にも強み・弱みがあってどれが良いか悪いかなんて一概にいえるものではない。結局どの制度が良いかではなくて、その子どもや家族のニーズにあう制度はなにかが大事なんじゃないの。多様なニーズに対応するならむしろ多様な制度が重層的に機能して支え合うのが理想なんじゃないの。
それなのにそれぞれがそれぞれにとって都合の良い子どもの声ばかりを拾い集めて発信して互いに競り合って予算獲得や寄付金集めに躍起になって。商売じゃないんだからさ。そういうところから制度は歪み、隙間が増え、福祉が壊されていく。いつまで小競り合いと分断を続けるの。本当に虐待防止する気あるの。本当に子どものためを思っているの。子どものことより制度推進の方が目的化してしまっていない。子どもが幸せになれるならそれがどの制度かなんてどうでもいい話じゃないの。その啓発はなんのための啓発ですか。その啓発の結果どんな社会を目指しているんですか。虐待防止月間だからこそ一呼吸置いてそれを考える必要もあるのではないか。