行き場のない子ども若者支援における就労支援についてのモヤモヤ

住込就労は支援者が楽するための手法ではないです。
行き場のない子ども・若者支援の手法として住込就労という方法があります。ですが僕は基本的には住込就労はおすすめしない。
誤解のないように僕自身、住込就労は貴重なインフォーマルな社会資源のひとつだと思っているし、実際に僕が関わっている子ども・若者が住込就労でとても丁寧に助けてもらい感謝もしています。一方でそれ以上に住込就労で失敗して苦労する子ども・若者達ともたくさん出会っています。失敗する要因は様々で本人側の事情もあれば、就労先の事情もあったり、その他外在的な事情によりうまくいかないこともあるけれど、ここでは主に本人側の事情について。
 仕事と生活が近接しているのはやはり相当本人にとって重荷になるし、離職と同時に家まで失うリスクはあまりに大きすぎる。本人は決まってはじめは頑張ると言う。でも実際にはなかなか頑張れない。頑張ろうとするのだけれどなかなか続かない。職場の良し悪しに関係なく未解決の本人の課題やトラウマ等を抱えながらも働いていくのは容易ではない。もともと人間関係等にも苦手を抱えているので職場での近すぎる人間関係自体が重荷にもなる。でもそうした悩み自体、お世話になっているという手前なかなか口に出せない。追い込まれた状況下で他の選択肢等を十分に吟味する余裕もない中で突きつけられ絞り出された自己決定。それにも関わらずあなたが選んだのだから、他にもう選択肢もないのだからと自己責任を問われプレッシャーまで与えられる始末。それって支援なの。
なので僕が住込就労を勧めるのはよほどその子ども・若者が働けるという見込みがもてるときか、あえて失敗のリスク込で経験させその後のフォローまで見込んでいるときに限っています。そうでないときはハウジングファーストの精神で住まいは別に用意するようにします。
支援者側からすれば住まいと仕事の問題が一挙に解決するし、なんならその後の生活のフォローまでしてもらえて至れり尽くせりでついつい頼りたくなる。でもそこで本来支援者側がやるべき必要なアセスメントや細かな調整、配慮を怠ってはいないか。本人の問題だけでなく周辺の問題解決まで丸投げしようとしていないか。就労につないで終わりではなくてつないだ者の責任としてその後の生活支援まできちんと思い描けているのかか。受けた相談を右から左に住込就労につなぐだけのお手軽支援で良い仕事したつもりになっていないか。
住込就労は支援者が楽するための手法じゃなくてむしろ通常以上に手間や労力をかけなきゃいけないものだと思っています。また、民間に頼りっぱなしにするのではなく本筋の公的支援の充実をあわせて行っていく必要もあると思います。昨今のコロナ禍の中、住込就労先で職を失い同時に家も失い困窮する若者の相談に複数接しました。こうした支援の脆弱さ問題があらわれているように思います。