かながわアフターケア勉強会『みんなでアフターケアへの思いを語る』

先日はかながわアフターケア勉強会に登壇者として参加してきました。勉強会の余韻と疲労感で頭が回らないですがでもとにかく最高に素晴らしい会でした。

改めてご参加頂いたみなさま、ご登壇頂いた方々、司会を務めた方々、このような会を 企画立案された神奈川の皆様、そして福本さんに感謝です。
以下、長文になりますが私自身がこの勉強会にこめた思いと勉強会の感想を。
今年の頭に福本さんから企画の話を聞き、『現場で出会う子どもたちの声を通した「子どもたちから頂いた言葉・言葉にならないもの」による社会を変えるような思い・メッセージ』というオーダーを頂いてっていたのですが何を話すかギリギリまで悩みました。
僕自身が関わった社会的養護の若者達の話、児相の現場で出会う子ども・若者達の話など伝えたい声はたくさんありましたが、最終的にはあえて弁護士法人ソーシャルワーカーズとして『社会的養護からもこぼれる子ども・若者達』の声にならない声から頂いた思いをお話させていただきました。
アフターケアが必要なのは社会的養護出身の子ども・若者達だけではありません。適切な保護やケアの機会なく生き抜いてきたサバイバーの子ども・若者、精神科への長期入院を繰り返す子ども・若者、少年院や刑務所にいる子ども・若者、その他様々な理由により生きづらさを抱えてながらも今を生きている子ども・若者達。
一方でアフターケアのための取組や制度は充実してきていると思いますが、対象が施設や里親家庭出身者に限定されているようなものも見受けられます。
限られた財源の中で制度を運用するにあたり要件を設けて対象を限定しなければいけないという事情もわかるけれど、この対象から排除されている子ども・若者達の存在にも思いを馳せてほしいです。
すべての子ども・若者が社会的養護の対象として受け止められるようにしていくのが理想ですが現在の脆弱な予算制度の中ではそれもなかなか難しく、社会的養護の枠で必死に受け止めようとしても様々な要因によりそこからこぼれる子ども達がいるのが現実です。
生きづらさを抱えながらも自傷行為のように反社会的な行動を繰り返し自ら周囲との関係性を壊していく若者。支援者としてはどうすることもできない。本当ならたっぷりとケアの関わりが必要なのにそれがなかなかできない。側にいて寄り添うことすらできない。そうであればせめて何歳になっても何度でもアフターケアとして受け止められるようになってほしい。
アフターケアが可愛そうな人や頑張る人だけの条件付きのサービスではなくすべての人に当たり前なものとなっていってほしい。いきなり国の法制度を根本から変えていくのは難しくてもみなさんが日々生活する"街"の中での関わりからでもそれが当たり前にしていきたい。いずれすべての人が安らぎを感じられる"帰れる街"になるよう願いを込めて。そんな思いを語らせていただきました。
アフターケアというと最近は就労や就学等の自立支援の話ばかりが取り上げられがちで、それはそれで大事だけれどどこかその現状にモヤモヤした思いを抱いていました。今回、改めて根っこの部分に立ち返り、アフターケアの本質である”生きること“を支えていくというひとつの思いを再確認し、共有されたと思います。ここから思いが広がっていくことを願います。
僕もこの思いをまずは千葉から広げて行こうと改めて思いました。でもそれはとてと僕一人ではできません。たくさんの人に助けて頂き一緒に進めていきたいです。なのでこの投稿を読まれている皆さん、ぜひ「みんな」でアフターケアへの思いを語り広げていきましょう。