個人情報保護法令等と支援のための情報共有との関係及びその限界について考える

個人情報保護法令等と支援のための情報共有との関係及びその限界。
法令遵守の要請やソーシャルワークの価値が複雑に入り乱れ対立する場面のひとつ。
同じ弁護士の中でもガチガチの要件で情報保護を優先しようとする考えとガバガバの要件で情報共有を許容しようとする両極端な考えで対立しがちな難しい問題。
難しい問題なのだけれど意外なことにこの論点を明確に説明をしている論考はほぼほぼ皆無。しいてあげると明石の青木先生が書かれている論文くらい。法令違反等の実務レベルの問題から個人情報保護やプライバシー保障等のかなり深刻な人権問題まで含まれている重要論点だとは思うのだけれど。
虐待防止や再犯防止等の抽象的な目的論のもと情報共有が推奨されがちだけれど、そもそもなぜ情報共有するのか、その目的で本当に共有していいのか、その情報主体の人権保障という観点が蔑ろにされてはいないか。自治体毎に仕組や考え方自体、異なるということも見過ごされていないか。
僕はソーシャルワークの実践のためにできる限り柔軟な情報共有が必要だと思う。一方でソーシャルワークとしての目的や必要性を具体的に見定めることなく各々の尺度で闇雲に情報共有を求めあうのは違うと思う。それは公益のために個人の情報が容易にやりとりされてしまうということであり監視社会とも紙一重。情報共有はあくまで人権保障の観点からは支援として必要最小限の範囲で留められるべきであって。
ではその必要最小限の尺度とは。それが結局共通のものさしがないから機関連携等の場面ではしばしば混乱のもとになる。弁護士に法務判断を求めても前記の通りむしろ余計に混乱につながることも。この微妙なさじ加減をしていけるかは弁護士ではなくソーシャルワーカーの専門性にかかっているのかなと思う。