子どもファーストという言葉を使わないほうが良いのかもしれない

子どもファーストとか子どもの最善の利益という言葉は本来、様々な思想、利害の対立を前提にしつつも子どもを共通の目標として同じ方向をみて協働していこうとすることに意義があったはず。
決して子ども以外の利益を蔑ろにしたり犠牲にすることを積極的に許容、推奨するものではない。
ましてや子どもの立場に依拠しようとする支援者がそれ以外の立場の人たちにマウンティングするための概念ではない。
 でも子ども支援の現場では子ども以外の権利、利益を平気で蔑ろにしたり、自分たちの主義主張を通すための方便として子どもファーストという言葉が使われがち。子どもの権利条約が支配的に引用されることも。
子どもの権利の前にまずすべての人の基本的人権保障がありそこに序列などないということが看過されてはいないか。そういうところから社会の歪みが生じていないか。それが巡り巡って子どもの未来を暗くしていないか。
あえてこの言葉を用いないほうが良い実践ができるのではと思うことも。そんなモヤモヤ。