居場所のない子どもや若者の支援として特定の団体内で箱物施設をつくってワンストップで手厚い支援をすることの是非について考えてみた。
安心安全な箱物をつくり、その中で家庭的な関わりを展開する。それが子ども・若者支援の王道のように考えられている。でも、それが本当にイマドキの子ども・若者のニーズにあっているのかはよく考えたほうが良いのではないか。特定の人や場所で継続的な関係性を築くことを嫌う子ども・若者もいる。家庭的距離感による関わりを疎ましく思う子ども・若者もいる。
もちろんそうしたニーズの子ども・若者もいると思う。でもそうやって作られた箱物、箱庭におさまる子ども・若者ばかりじゃない。子ども・若者は支援者の想定を超えてそうした枠組を容易に飛び越えていく。もし支援者の想定に収まっているとしたらそれは抑え込んでしまっているだけか、収まっているように見せられているだけではないか。
支援団体内で色々な機能をもたせ、あれもこれもとなんでも自分たちだけで抱え込みやってみせようとすることも危うさを感じる。継続的な支援とかワンストップ支援といえば聞こえは良いけれど、どこか支配的にも感じる。責任感の表れともいえるかもしれないけれど、自分たちの力でその子ども・若者の人生をなんとかしてあげようという支援者のエゴも感じる。
現実的にはなんでもかんでもはできない。できることしかできないというかできないことのほうが多い。できないからできるところと連携していくしかないんじゃないかな。