【書籍感想】『子ども福祉弁護士の仕事』

 

平湯先生の書籍。子どもと福祉と弁護士との間で揺らぐ僕にはとても惹かれるタイトルだったので拝読しました。

子どもの権利保障の考えがまだ当たり前ではなかった時代から粘り強く活動を続け途を切り開いてきた平湯先生をはじめとした諸先輩方の尽力には頭が下がります。時折、僕がしているような取組を今までにない取組みたいに言われることがありますがそんなことはなくて、諸先輩方の取組があるからこそ今の取組があるわけです。そのことを改めて感じました。

平湯先生の『日常的に当事者である子どもの声を聴きながら子ども達のふつうの生活をどうやって充実させていくか』という問題意識は、現在の僕の仕事観、支援観とも重なりとても共感しました。子どもと関わるうえでは『多分こうだろうは排除して徹底して事実に拘る』という指摘はまさに弁護士ならではの専門性を活かした関わり方でなるほどと思いました。

一方で子どもの権利擁護の担い手の中心として弁護士を想定されていることには違和感。以前にも投稿したように僕は弁護士が当然に権利擁護の専門性を有しているという考えには懐疑的です。これは子どもの権利擁護に取組む弁護士も例外ではなくそうした弁護士が子どもに対してかえって不適切な関わりをしてしまう例もあります。

また、子どものニーズは様々です。恩寵園事件の子ども達はまさに弁護士の力強い取組がなければ救えなかったと思います。一方でそうした力強い取組では決して救えない子ども達もいると思います。

弁護士の力を頼もしく感じる子どももいれば逆に脅威に感じる子どももいます。子どもが自分のニーズにあわせて様々な権利擁護の手段、選択肢を広げていくことが必要なのであり、弁護士が担うべきという考えには危うさを感じました。

あと、対立構造を作り出してはいけないという指摘がある一方で行政と民間、弁護士と弁護士以外といった区別を前提とされていてうーんと感じる部分もちらほら。これは今の僕が児相やソーシャルワーカーの立場で働いていることからくる抵抗感かも。

結論としてこの書籍の中で示されている『子ども福祉弁護士』の像は僕が目指そうとしているものではないと思いました。ですが、それはそうした弁護士像を否定するというよりも、子どもの権利擁護に取組む弁護士にはもっと色々なアプローチがあって良いのかなと思います。あえて先人の方々が切り開いてきたものとは違ったもの、今の時代にあった新しいものを目指していくそれくらいの気概でいてもいいのかなと。

他の弁護士さんやあるいはソーシャルワーカーの方々はどのように感じるのか。他の方の感想も是非聞いてみたいと思いました。弁護士とソーシャルワーカーの協働を考える会で輪読会でも企画してみようかな。

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