子どもの声からはじめよう講演会へ参加してきました

先日はカナダ オンタリオ州で子どものアドボカシーオフィスの所長をされていたアーウィン・エルマンさんの講演会に参加。子どもに限らず様々なマイノリティの方々と日々関わられているアーウィンさんの言葉はどれも優しくて安らかな気持ちになりました。
まだまだ頭の中で色々なものが渦巻いていてまとめきれないのでひとまずアーウィンさんのお話の中でも特に印象的だった言葉をいくつか要約抜粋。
『子どもと大人がパートナーとなり一緒に解決策を探していくのが大事。そのためには子どもの声を尊重するだけではなく大人の声も尊重する必要がある。お互いを尊重しあえないとパートナーとはいえない。』
『子どもの安全とは外すことではなく含めること。カナダでは子どもを保護するのではなく子どもを含めた家族全体をどのようにコミュニティの中で支えていくかという方向にシフトしている』
『テーブルの中に色々な考えの人がいることが大事。そして子どもを中心において物事を考えることを徹底する。』
『子どもの問題と言われているものの多くは実は子どもではなく大人の側の問題である。』
『法律だけでなくそれを支える文化そのものが存続し続けるようななんらかの構造が必要。文化を創生していくためにもまず彼ら彼女らから声を聞く。そのうえで私はこうしてみたいと話す。そうして話し合いながら完成させていく。』
奇しくも先日行ってきたオランダ・デンマーク視察の中で感じ得たことと通じる話が多くて驚きました。
対話の文化を重んじるデンマークでは『自分の意見を言えるようにするためにも相手に配慮して相手を傷つけないような言い方をする(対話をする)』と教わり、これがとても腑に落ちる話でした。空気を読むとか、あるいは勝ち負けの『議論』になりがちな日本との違い。
僕もアドボカシーの必要性を感じつつも、昨今の報道等での取り上げられ方や盛り上がり方には違和感というか危惧感が拭えませんでした。一見すれば子どもの虐待防止のための機運が高まっているようにも見えるけれど、それはどこか一方的で暴力的な議論で分断や対立を促すようなものにも感じました。
7月に行われたイギリスのアドボカシー研究者のジェーンさんの講演会の際もとてもパワフルで示唆に富んだ内容でしたが、この時点でもまだ上記の懸念は拭いきれませんでした。
でも今回のアーウィンさんのお話は私が抱いていたこうしたモヤモヤを晴らしてくれるとともにこれからの方向性を明確にしてくれらように思います。
僕が悩みながらもやってきたこと、やろうとしている方向性があながち間違っていなかったのかなと思えたのが救いでした。
この1年僕なりにも色々なアドボカシーの形やあり方を考えてきましたが来年はそれを少しずつ実践してみようと思います。
 
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