独立型アドボカシーとして訪問アドボカシー活動をすればするほど感じるのは自分は親として自分のこどもの声をちゃんと聴けているのか不安になるという話

独立型アドボカシーとして訪問アドボカシー活動をすればするほど感じるのは自分は親として自分のこどもの声をちゃんと聴けているのだろうかという葛藤。
こどもが育ってきて色々と気持ちを表明してくれるようになったこともあり「今日もお仕事行くの?」「今日は何時に帰ってくる?」「もっと遊びたい」といった声を聴くたびに心が揺さぶられます。
”親だからこそ聴ける声もあれば聴けない声もある。だからこそ親以外の立場でこどもの声を聴く存在が大事。それは別に親がダメだとか親より優れているということではなくて役割分担の話。だから、親は声を聴けていないことを気にしすぎなくて良い”
 …というのは子どもアドボカシー関係の研修や講演で散々お話しているのですがいざ自分のこととなるとやっぱりそう簡単に割り切ることもできず葛藤しますね。
自分の仕事や活動もちゃんと両立していけるように色々仕事環境は整理しているところですが、それでもこの葛藤はますます強まっていきそうです。